教員は【普通】を求められる

はじめに
リライト
日本に帰ってきて、約半年が経ちました。
2018年11月ブータンにいた時に書いた記事ですが、今でも同じように思ったので、ほぼそのまま掲載します。
わかったぞ。
教育現場で求められていることは、
【普通】であることだ。落合陽一さんが怒り出すな、これは。#WEEKLYOCHIAI
— ヤスノリモリ(教員) (@yasunorimoori) November 9, 2018
ということに気が付いたヤスノリモリ。
「普通に考えて、自分のクラスで何かミスして、他のクラスに迷惑かけたら謝りに来るのが常識でしょー!!!」
と初任時代に言われたことを未だに根に持っていますが、
そもそも「普通」とは
一 ( 名 ・形動 )
①いつでもどこにでもあって,めずらしくない・こと(さま)。
②ほかとくらべて特に変わらない・こと(さま)。
③特別ではなく,一般的である・こと(さま)。二 ( 副 )
①その事柄が多くの事例にあてはまるさま。一般に。
②いつもではないが,ほとんどそうであるさま。たいてい。
結果的を言うと、世の中に「普通」なんてものは存在していないのですが、教員界隈で言われている「普通」について少し考えてみます。
教員が求められる普通とは
- 一斉授業をする普通
- 身だしなみを普通に
- 他の学級と同じようにする普通
- 有給休暇を取らない普通
- 部活を行う普通
- 自分だけ目立たない普通
- 給与評価を見せない普通
- 子ども全員にA評価をつけない普通
- 年上を立てる普通
- 不登校を許容できない普通などなど
普通の教員を抜け出すには?
- 熟練した普通になる➡熟練した普通になれば、周りから一目置かれ、普通よりも優れた普通の教育活動を行うことができる。
- 外部評価を受けて希少になる➡普通のことを理解しつつも、評価を外部(例えば、資格取得や本出版など)に頼ることによって、「あの人は特別だからな。」という評価を受けることができ、自分のしたい教育活動を行うことができる。
- 教員を辞める➡辞めれば教員の「普通」に従わなくてもいい。ただ、他の世界での「普通」が待っている。
おわりに
運がいいことに、フェースブックやTwitter界隈で「普通ではない」先生方のご意見を拝見することができる時代になりました。これは本当に光栄なことです。
いつも「普通ではない」先生方には勉強させてもらい、感謝しています。
そうはいっても、未だに「普通」がはびこっている教員世界。
「普通、普通」言ってる教員には、海外で1年くらい過ごしてもらいたいです。
そうすれば、世界の「普通」と日本の「普通」の共通点と相違点が見えるはずですからね。
今一度、「普通」とは何かを考え、全体最適化のために何が最も良いのかを考える必要があると思います。
学校研修会で「普通とは何か?」みたいなことをするのも全然ありですね。
今回はここまで。お読みいただきありがとうございました!
ではまたほなね!