JICA協力隊にいった人は文化人類学者の素養があると思う

はじめに
お久しぶりです。
最近はnoteにも記事を投稿しているので読んでいただけるとありがたいです。
さて、今日は少しだけ文化人類学についての話をします。
私自身は別に文化人類学の専門家ではないので、軽く文化人類学とJICA協力隊についての話をしようと思います。
この記事の対象者は主に
- JICA協力隊を経験した人やこれから経験する人
- すでに海外暮らしを経験した人やこれから経験する人
です。
この記事でお知らせしたいことは以下の通りです。
- 海外に住むことによって当たり前を当たり前としてJICA協力隊の人は見なくなる。
- 現地の人の感覚を日本人のフィルターを通して理解することは文化人類学の一歩目である。
JICA協力隊とは
JICA海外協力隊とは
開発途上国の国づくりに貢献できる人材を現地へ派遣、帰国後もグローバル人材としての活躍が期待されています。
JICA(独立行政法人国際協力機構)が派遣する青年海外協力隊/シニア海外協力隊は、開発途上国で現地の人々と共に生活し、同じ目線で途上国の課題解決に貢献する活動を行っています。帰国後は、日本をはじめ様々な国や分野で、経験を生かした貢献が期待されています。
- 約2年間の活動
- 現地の人と同様な住環境で暮らす
- 日本から来た日本人が同じ窯の飯を食うことで得られる経験は旅とは全く違う概念を与えてくれます
以上のように文章にすると陳腐ですが、思い返せば毎日がとてもキラキラ日々だったと思います。(もちろん辛い日もありましたが、)
文化人類学とは
立命館大学HPによると
もともと文化人類学は、欧米の人類学者が遠い外国の奥地を訪れて、文化を観察し記述するところから始まりました。欧米の人類学者たちが驚いたのは、「未開」だと思っていた地域にも独自の社会システムがあり、欧米とはまったく異なる方法で、実にうまく機能している、ということでした。そのなかで、いろいろな地域の人たちがそれぞれどのような心性をもつか、子どもたちはどのように育てられるか、などの比較研究がなされていきます。
人類学者たちは次第に、自分たちの文化に対しても目を向けるようになります。外国の文化を観察するのと同じ目線で、自分たちの文化を見つめ直すようになったのです。そうすることで、今まで当たり前すぎて意識もしなかった自分たちの風習や日常的な行為が、実は当たり前のことではなかった、と気づくようになります。
現在、文化人類学は、世界中のあらゆる現象を研究対象にしています。私たちが普段なにげなく通り過ぎている学校や公園、ショッピングモールでさえ、面白い研究ネタがたくさん転がっており、実際にそのような場所で現地調査をしている人たちもいます。日常の「当たり前」を一歩引いたところから眺める目を養ってくれる学問、それが文化人類学です。
つまり
- 文化人類学は「当たり前」を見直す学問
- そして人間とは何かを探究する学問
ということですね。
JICA協力隊と文化人類学は相性が良い
今となっては多くの人が海外で暮らしています。
ただ、JICA協力隊の人たちは途上国のよくわからない僻地に行くわけです。
僻地でなくても約2年間海外で生活することによって、日常の「当たり前」を一歩引いたところから眺めるようになるわけです。
ブータン王国で言うと、当たり前に唐辛子を毎食食べてますが、日本ではそんなことはあり得ないわけです。
海外の人からすると毎朝味噌汁を飲むのが意味がわからないし、何でもかんでもソースをかける意味がわからないわけです。
文化人類学はそんな当たり前を見直す学問であるので、JICA協力隊にいった人は嫌でも文化人類学者予備軍になります。
あとは、それをデータとして起こして文章にする作業が必要になりますが、それは一般的にそんなことはしないと思います。
ただ、素養としては圧倒的にずっと日本にいた文化人類学を学びたいと思っている人よりあることになるでしょう。
おわりに
いかがだったでしょうか?
改めて、この記事でお知らせしたいことは以下の通りです。
- 海外に住むことによって当たり前を当たり前としてJICA協力隊の人は見なくなる。
- 現地の人の感覚を日本人のフィルターを通して理解することは文化人類学の一歩目である。
日本の当たり前に飽き飽きしている人はJICA協力隊に応募して途上国に住むのが良いかもしれません。
きっと面白い当たり前を発見できるかもしれません。
それでは!